Rabbi Bernstein Mosheの記事翻訳シリーズ、今回は、今週のパラシャ―、パラシャット・バラクについてです。
「悪人の名は腐る」という諺に基づいて、賢者は、悪人の名が永続しないように、子供に悪人の名を付けないように助言しました。これは、邪悪なバラクにちなんで名付けられたこのパラシャについて重要な疑問を提起します。バラクは他のどの敵よりもイスラエル(訳補:の民)を憎んでいました。トーラーの部分がそのような邪悪な人物にちなんで名付けられるなんてあり得るでしょうか?
バラクは神聖さから切り離された存在を表していますが、彼はダビデ王を含むイスラエル王国の系譜を理解していた偉大な賢者でした。ダビデ王とメシアの祖先であるモアブ人のルツはバラクの子孫でした。これは、悪を善に変えることによって生じる独特の神聖さをバラクが表していることを示唆しています。
当初、バラクは神聖さの対極であり、神聖さからの分離を象徴していました。しかし、神聖さの最高の形、つまりダビデ王とその子孫のメシア王は、最終的に彼から生まれることとなりました。ネ’申の働きには、善を行うことと、悪を善に変えるという行為の両方が含まれます。トーラーを学び、ミツヴァ(訳注:戒律)を守ることは、純粋な善を表しています。しかし、人間が悪と闘い、それを善に変えると、この世にネ’申の光がもたらされます。これは悔い改めによって例示され、悔い改める者は罪を功績に変え、完全に正しい者よりも高いレベルに引き上げられます。
トーラーは、バラクにちなんで名付けられた部分によって悪を善に変えることをほのめかしています。目標は悪に焦点を当てることではなく、悪を明らかにして修正することであり、最終的にはダビデとメシアの王国に至ることです。したがって、バラクは悪を善に変える象徴です。
これは、すべての人への教訓でもあります。トーラーは、悪を克服し、さらには悪を聖化して、最高レベルの神聖さを達成することが可能であると教えています。ネ’申から切り離されているように見える人に出会ったとき、この状況は善に変えられ、その人の魂の火花が現れうることを認識する必要があります。この変化は、私たちを真の完全な贖い出しに近づけるのに役立ちます。
【※】本和訳は誠実に和訳しましたが、日本語を読むことができ、戒律を守る生活をしている敬虔なユダヤ人から承認を受けた訳ではありません。その点はご了承ください。
【※】英語で言うところのG-dを他の神から区別するために「ネ’申」と訳しました。また、英語で言うRedemptionを「贖い出し」と訳しています。
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