Rabbi Bernstein Mosheの記事翻訳シリーズです。今回は今週のパラシャ―、パラシャット・ヴァイェシェフに関してです。
ヴァイェシェフ、このトーラーの部分では、ネ’申の摂理が私たちの人生と世界の成り行きにおいてどのように重要な役割を果たしているかを見ることができます。ヨセフが兄弟たちの元に着く前に、彼らは彼に対して共謀し、彼を殺す計画を立てました(創世記 37:18)。 彼らの意図においては予想されていませんでしたが、兄弟たちの行動は最終的にはヨセフが権力の座に上り詰め、ヤコブの家族全員が生き残ることにつながりました。エジプトの王になるに至るヨセフの旅は、私たちがそれを認識するかどうかにかかわらず、私たちの人生のあらゆる出来事が私たちの最終的な利益のためにネ’申によって調整されていることを鮮やかに示しています。 これは個人にも社会全体にも当てはまります。
したがって、私たちに危害を与えそうな人に対して怒りを抱くのは賢明ではなく、逆効果です。私たちに危害を加えようとする者は、その行為に対する罰の責任を負うかもしれませんが、彼らはネ’申の意思に含まれる以外のことを私たちに課すことはできません。
別の例は、タマルの長子にペレツという名前を与えたユダの場合に見ることができます(創世記 38:29)。モシアハはユダとタマルの息子ペレツの血筋から出ます。モシアハの魂が世に出る準備をしているとき、悪の勢力は均衡が自分たちに不利に変化する寸前にあると主張しました。したがって、この魂の誕生は、悪の勢力がそれに同意する形で行われました。軍事戦略において、軍隊が退却するふりをして敵を弱い立場におびき寄せる場合と同様に、モシアハの誕生は一見明らかな(訳社補:ネ’申の道に対する)違反でしたが、実際には違反ではなく、悪だと誤解させるものであっただけでした。
現在、地球上で最も邪悪な勢力がユダヤ人に危害を加えようとしています。しかし、ヨセフとユダの場合と同じように、この悪の噴出からは善だけが立ち上がるでしょう。モシアハ王による贖い出しの究極の善、この贖い出しにおいて、義人、つまりノアの7つの戒律を自らの上に受け入れた人々とイスラエルの民が生き残るでしょう。
【※】本和訳は誠実に和訳しましたが、日本語を読むことができ、戒律を守る生活をしている敬虔なユダヤ人から承認を受けた訳ではありません。その点はご了承ください。
【※】英語で言うところのG-dを他の神から区別するために「ネ’申」と訳しました。また、英語で言うRedemptionを「贖い出し」と訳しました。
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