Rabbi Bernstein Mosheの記事翻訳シリーズです。今回は今週のパラシャ―、パラシャット・テツァベに関してです。
今週のパラシャ、テツァベでは、一見奇妙なことがあります:モーセの名前が明らかにないのです。なぜ彼の名前が省略されているのでしょうか?
ネ’申がモーセに人々の罪を知らせると、モーセは彼らの審判を熱心に取り上げ、激しく人々を弁護し始めました。「聞け、私(訳注:ネ’申)がこの者たちを滅ぼすにまかせるのだ」とネ’申が提案しました。 おまえから新しい民を作ろう。おまえの子孫が新しいユダヤ人になる。
しかし、モーセは何をしたでしょうか?彼はその提案をきっぱりと拒否しました。彼はこう言いました、「ネ’申様、あなたが人々を許してくれない限り、私はこの執行の片棒をかつぐことを拒否します。あなたが彼らを許さないなら、あなたの本全体、トーラーの本から私を消してください!」 ネ’申は最終的に人々を許しましたが、モーセの言葉の影響は残りました。人々に対する彼の揺るぎない献身の結果として、トーラーのどこかで彼の名前は消去されることになったのです。
これが真のリーダーシップです! リーダーは自分の利益など全く考えません! 彼は民の利益しか考えません。世界はガザ戦争が局地的なものだと考える傾向にあります。この戦争は信仰の核心、ユダヤ人の本質、そしてネ’申の正義に反するものです。これは領土をめぐる議論ではありません。この戦争は聖なる神殿(訳注:エルサレム神殿)の場所、または敵が呼ぶところのアル・アクサ洪水に対するものです。第三聖神殿がモシアハによって再建されようとしている直前に、悪の勢力があらゆる手段を使ってそれを遅らせようとしています。これが今日起こっている国際紛争の核心です。
史上最も偉大な教師であるモーセは、テツァベを通してのメッセージの中で私たちに例を示しています。彼の名前が省略されたひとつのパラシャは、リーダーがどのようなものであるべきかの例を示しています。私たち全員が真の贖い出しの時代を喜んで迎え、それが私たちの時代に速やかに起こりますように。
【※】本和訳は誠実に和訳しましたが、日本語を読むことができ、戒律を守る生活をしている敬虔なユダヤ人から承認を受けた訳ではありません。その点はご了承ください。
【※】英語で言うところのG-dを他の神から区別するために「ネ’申」と訳しました。また、英語で言うRedemptionを「贖い出し」と訳しています。
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