Rabbi Bernstein Mosheの記事翻訳シリーズ、今回はパラシャット・ニツァヴィムについてです。
ロシュ・ハシャナ(訳補:ユダヤ暦で新年の日)は、自己反省、悔い改め、そしてネ’申の王権を受け入れる時です。この概念は、ユダヤ人だけでなく全人類に当てはまります。なぜなら、この日にはすべての人々が裁かれるからです。では、この祝日はノアの子らにとって何を意味するのでしょうか?
ブネイ・ノア(訳注:ノアの子ら)は、悔い改めがユダヤ人にとって基本的な戒律であるが、非ユダヤ人にとっては、ネ’申を信じるべしという最初の戒律から生じる道徳的義務としての側面のほうが大きいと認識している人です。ヨナの物語(ヨナ記 3 章)は、ニネベの人々がヨナの警告を受けて悔い改めたことからわかるように、ユダヤ人だけでなく非ユダヤ人も誠実に悔い改めるべきであることを示しています。トーラーは、ヘベル(訳注:アベル)を殺害した後のカインへのネ’申の指示(創世記 4:7)を記しています。過ちを認めて変化することの必要性は、すべての人類に普遍的に当てはまります。
偶像崇拝の否定とネ’申への信仰は、ノアの子孫にとって最初の戒律です。ネ’申を信じるということは、戒律を破ったことを認め、過ちを改めようとすることを意味し、自分について申し開きをすることと自己を改善することの重要性を強調しています。全体として、ネ’申のもとに戻り、天のくびきを受け入れるという意味での悔い改めは、すべての人類に当てはまります。非ユダヤ人にとって、ネ’申を信じ、ネ’申に仕えることは、最初の戒律から派生する義務です。王の命令を無視して罪を犯した人は、悔い改めによってそれを正すべきです。
ロシュ・ハシャナは、世界と人類の創造の記念日であり、ネ’申の真の命の贈り物であり、成長し、自分自身を改善する機会です。ロシュ・ハシャナの期間にネ’申に立ち返ること(テシュバ)は、確かに喜びをもって行うことができます。自己反省と悔い改めのプロセスは、過去の行為に対する悲しみの感情を呼び起こすこともありますが、ロシュ・ハシャナは究極的には再生のイベントであり、新たなスタートの機会です。善行を通してネ’申とより親密な関係を築き、よりよい自分になるという決意を再確認することで、私たちは与えられた機会への感謝の気持ちで満たされます。
【※】本和訳は誠実に和訳しましたが、日本語を読むことができ、戒律を守る生活をしている敬虔なユダヤ人から承認を受けた訳ではありません。その点はご了承ください。
【※】英語で言うところのG-dを他の神から区別するために「ネ’申」と訳しました。
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