Rabbi Bernstein Mosheの記事翻訳シリーズです。今回は今週のパラシャ―、パラシャット・キ・ティサに関してです。
金の子牛の罪は、歴史上最も低い点の一つです。偶像崇拝はノアの第一の戒律で重大な罪です。しかしそれはすべて、大祭司アーロンが人々をなだめようとした善意から始まりました。アーロンはとても正義の人で尊敬されていました。彼は偶像崇拝の罪を止めようとします。彼は対立的なタイプではなく、平和的で愛情深い人として知られていました。彼は、外交と宥和という手段を使い、モーセが戻るまで誰も偶像崇拝に走らないよう、外交で事態を遅らせようとしてエレブ・ラヴ(訳注:エジプトからユダヤ人についてきた者たち)の暴力的な群衆に同調するふりをしました。結局、ひとえに彼には時間が足りなくなってしまい、偶像崇拝の金の子牛が黒魔術によって使って作られてしまい、アーロンにはこれを止める力がありませんでした。このケースでは、宥和政策は機能しませんでした。
西側諸国にある、平和を達成する手段としてイスラム過激派やあらゆる過激派イデオロギーを宥め、受け入れるという考えは、実行可能な解決策ではありません。宥和政策はしばしば過激派グループを緩和するのではなく、むしろ勇気づけます。歴史は、イスラム過激派への譲歩が弱さの表れと解釈され、さらなる要求や攻撃につながる可能性があることを示しています。多くのイスラム過激派イデオロギーは基本的人権を侵害することがよくあります。そのようなイデオロギーに身を委ねることは、自由の原則そのものを損なうことになります。それはテロ集団とその行為を美化することにつながるでしょう。
イスラム過激派をなだめようとする代わりに、平和を促進するためのより効果的なアプローチは、ノアの普遍的な 7 つの法を推進することです。ユダヤ人の伝統に由来するものですが、全人類に適用できる普遍的な道徳原則と考えられているノアの七つの法は、実際に世界の平和と倫理的行動を促進するための枠組みとして役立ちます。しかし、これらの法は、単に世界の戦争の数を減らすためだけではなく、ネ’申の意志を表すものであるから受け入れられるべきである、ということを認識することが不可欠です。
ユダヤ暦アダル月に、私たちはモシアハを信じる精神を強めることが求められています。私たちは、真の喜びが状況を変え、来るべき贖い出しへと私たちを結びつけてくれることを認識します。困難や試練に見舞われることが多い世界において、心の中に喜びを育むことは私たちの義務であり特権です。これにより、レジリエンスと強さが向上します。喜びは、私たちの魂に栄養を与え、周囲の人々を高揚させ、私たちに戦争に勝つ力を与え、来るべき贖い出しに私たちを繋ぐ深遠な存在の状態です。
【※】本和訳は誠実に和訳しましたが、日本語を読むことができ、戒律を守る生活をしている敬虔なユダヤ人から承認を受けた訳ではありません。その点はご了承ください。
【※】英語で言うところのG-dを他の神から区別するために「ネ’申」と訳しました。また、英語で言うRedemptionを「贖い出し」と訳しています。
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